
2026.2.20
今日の出来事2011年に発生した東日本大震災から間もなく15年。仙台のテレビ局でニュースキャスターをしていた時に震災を経験した私は、以来、震災で大切な人を失った方々へのインタビュー取材を続けています。
2月14日、私の震災取材経験やご遺族の思いを講演する機会をいただきました。東京で震災について講演するのは今回が初めてとなります。当日は東北大学経済学部の卒業生など、オンラインも含め、72人ものお客様が集まってくださいました。ありがとうございました。

今回は私がインタビュー取材をしてきた中でも、石巻市で6才の女の子を津波で亡くした、あるお母さんについてクローズアップしてお話ししました。そのお母さんは当時6才だった娘を津波で亡くしています。女の子は、乗っていた幼稚園の送迎バスが津波に巻き込まれて亡くなりました。
伝えたかったのは、亡くなった女の子が“生きた証”です。テレビ局で働いていた頃、番組内では放送時間に限りがあり、お一人お一人が、何が好きで、どんな時に笑って、普段家族とどのような会話をしていたのか、どんな人生を歩んでこられたのか…、伝えきれなかったことがたくさんあるという忸怩たる思いを、今もぬぐえません。
私はテレビ局を退職し、宮城を離れた人間ですが、これからはお一人お一人の“生きた証”を「朗読」や「講演」で伝えていこうと思っています。

石巻で亡くなった6才の女の子は、人を笑わせることが大好きでした。カメラを向けるとわざと面白い表情をしてみんなを笑わせていたそうです。
大好きな色は、水色。水色のランドセルもすでに用意してもらい、小学1年生になるのを楽しみにしていました。
食べ物の好き嫌いが多かったそうです。でもメロンは大好き。お母さんのお腹の中にいるとき、お母さんのつわりがひどかったそうで、お母さん曰く「メロンだけは口にできたからよく食べていたんですよね…、だからでしょうか」とのこと。
3歳年の離れた妹のことが大好き。姉妹2人、とても仲良しでした。実は妹の名前はお姉ちゃんが付けたそうです。
3月11日の朝も、いつもと同じように朝食をとり、いつもと同じように幼稚園バスの送迎場所までお母さんと手をつないで行って、いつもと同じように「行ってきます!」と言って出発して行ったのに、あの日から15年間、お母さんはいまだ「ただいま」を聞けていません。
日常がどれほど尊いものか、思い知らされます。
お母さんは毎年、3月11日に亡くなった娘に宛てて手紙を書いてきました。講演では最後にその手紙を朗読。その中の一文を、私は生涯忘れることはないと思います。
「ママが助けに来るのを待っていたよね?だって、いつも「ママが守ってあげるからね」って言っていたもんね。それなのに、助けてあげられなくてごめんね。守ってあげられなくてごめんね。抱きしめてあげられなくて、ごめんね。」
お母さんは「二度と同じ悲劇が繰り返されないように」、今も石巻で語り部活動をしています。その想いを、私も少しでも多くの人に伝えていきたいと思っています。
『震災朗読』はこれからもインタビュー取材を続け、様々な方々のご経験と想いを伝えていきます。子育て世代のお母さんやお父さん、ぜひ子供たちにも聞いていただき、「命の大切さ」を伝えたいです。

〆